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フレッド・ブラウン (バスケットボール) : ミニ英和和英辞書
フレッド・ブラウン (バスケットボール)[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

フレッド・ブラウン (バスケットボール) ( リダイレクト:フレッド・ブラウン ) : ウィキペディア日本語版
フレッド・ブラウン[ちょうおん]

フレッド・ブラウンFred Brown, 1948年8月7日 - )はウィスコンシン州ミルウォーキー出身のバスケットボール選手。アイオワ大学卒業。ポジションはポイントガード、身長191cm、体重83kg。
1971年の入団以来、シアトル・スーパーソニックス一筋でプレイし、1979年の優勝に貢献。"Downtown Freddie"の愛称からも分かるようにロングレンジからのシュートを得意とし、1979-1980シーズンからNBAに導入されたスリーポイントシュートの初代成功率1位に輝いた。背番号『32』はスーパーソニックスの永久欠番となっている。
== 経歴 ==

=== アイオワ大学 ===
ミルウォーキーで生まれたフレッド・ブラウンはリンカーン高校時代に2度州のチャンピオンシップに導いたことでアイオワ大学のラルフ・ミラーコーチから勧誘を受けたが、当時のブラウンの学業成績ではアイオワ大学が所属するビッグ・テン・カンファレンスの試合に出場できる資格を得られなかったため、まずバーリントン短期大学に進学することになった。バーリントン短大では1年生のシーズンに平均21.3得点、2年生のシーズンに26.8得点をあげ、1969年の全米短期大学オールトーナメントチームに選出された。
バーリントン短大での2年間の後、アイオワ大学に編入。1969‐70シーズンから公式試合に出場し、このシーズン平均102.9得点というBig10新記録となったアイオワ大の強力オフェンスの一翼を担った。彼らの圧倒的な得点力からその年のNCAAトーナメントの優勝候補にもあげられたが、中東地域トーナメント1回戦でジャクソンビル大学に103‐104で惜敗してしまった。1970-71シーズンには中心選手の大半が卒業してしまったためチーム成績は9勝15敗と負け越したが、ブラウン個人は平均27.6得点をあげる絶好調のシーズンを過ごし、Basketball News紙、Basketball Weekly誌、ヘルムズ財団選出のオールアメリカチームと、アイオワ最優秀選手に選ばれた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「フレッド・ブラウン」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Fred Brown (basketball) 」があります。




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